BGM,:マルティーニ 愛のよろこび by 仙姑宮  

私の本棚:夏目漱石:評伝・解説

漱石の孫 夏目房之介
漱石の精神を病ませたロンドンは、夏目家にとって「鬼門」の地だった。百年の時間を経て、ついに彼の地を訪れた孫。かつての下宿部屋に入った途端、孫は予想もしなかった感動におそわれる。英国と日本、近代と現代、文学とマンガ…交錯する思いの中でふり返る夏目家三代の歴史。「漱石の孫」に生まれついた自分の「責任」とは何か。
目次
第1章 漱石と出会う
第2章 夏目家の鬼門
第3章 漱石観光
第4章 漱石と僕
第5章 文学論とマンガ論
第6章 業の遺伝
第7章 百年後の猫
2003,4,22刊行
実業の日本社
2004,12,26読了
漱石の長男純一(二男五女5番目)の息子である著者が、NHK「世界わが心の旅」で、ロンドンの漱石の下宿を訪ねる。私はこの番組を見た事があり、それを思い出しながら懐かしく読むことが出来た。祖父が1900年に訪ねて以来100年を経て、それまで実感していなかった祖父を実感することや、少年時代・青年時代を通じて「漱石の孫」と周りから特殊な目で見られることを、やっと、ありのままに受け止められるようになった、著者の心の動きがよくわかる。
 厳しい祖父、文学論の確立に苦悩した祖父、時代の開拓者であった祖父の姿を、肉親ならではの愛着の目で、一方で、マンガ・コラムニストとして自分の地位を確立した著者の客観的な目で淡々と綴る筆致に好感を覚えた。
感銘度 ☆☆☆☆★




父・夏目漱石 夏目伸六
・夏目漱石は生涯に二男五女をもうけている。順に筆子、恒子、栄子、愛子、純一、伸六、雛子で ある。長女と次女は「吾輩は猫である」のとん子とすん子、一番下の雛子は「彼岸過迄」で、早世 した女の子のモデルになっている。
・漱石が50歳で亡くなった時、著者は9歳であった。幼い頃の思い出、その後成長してからも、あま り父親への愛情がわかなかったというが、父の小説などを読み進むうちに、肉親でしか語れない ような筆致で、偉大だった漱石の人となり、生活ぶり、取り巻く人々、作品の背景などが臨場感を 持って浮んでくる。
・父への思い、父の日記と子供達、一葉と漱石の原稿料、英悟嫌いの漱石、「道草」の頃、博士嫌 いと夏目博士、父の書画、「猫の墓」、「父の家族と道楽の血」、「父の胃病と『則天去私』」、「父・ 臨終の前後」、「母のこと」、「墓標の下」などから成る。
・なお、「漱石の孫」の著者は、伸六の兄純一の息子房之助で、甥に当たる。、
初版:1949年(昭和31年)
19917、10
文春文庫
2005,1,22読了
・漱石は50歳という若さで亡くなり、また、その生涯もそれほど裕福でなく、神経衰弱や胃病、糖尿 、リウマチ等に悩まされながらの日々であったが、その業績や交友からまさに太く短く生きた毎日 であったことが、よく理解できる本である。特に、この本の進め方が、父を礼賛するでなく、母や  兄弟をあしざまに言うでなく、著者の言うように、「自分の信ずる有りのままに、客観的に」漱石の 人間像を描いていて、漱石作品の理解を一層深いものにさせてくれる。
・漱石は日本の作家の中で、その評伝や解説が最も多い作家と聞いたが、このように、息子や孫 から、当時のことを偲んでもらい、永遠の生命をもち続けられる男の生涯に、我が身の業績は置 いて考えるとしても、うらやましいばかりである。
感銘度 ☆☆☆☆★



夏目漱石と明治日本 文藝春秋 特別版 2004年12月臨時増刊号
「全編書き下ろし、日本人に最も愛された作家とその時代」と銘打って、出された特集号。主な執筆者と表題を列記すると下記の通り。
・漱石と明治:加賀乙彦「漱石の病気と創作」、半藤末利子「中根家の四姉妹」
・明治のこと漱石のこと:半藤一利「明治、光と影 漱石とその時代」、関川夏央「漱石と列車」
・私の漱石:夏目房之介「百年の時代を超えて、祖父・漱石に会う」
・特別対談:丸谷才一、山崎正和「夏目漱石と明治の精神」
・明治 人と時代:谷沢永一「型破りの男たち 明治傑物畸人列伝」
・漱石の魅力:坪内稔典「ときめく俳人」、出久根達郎「漱石夫妻の手紙」
・漱石の旅:多胡哲郎「漱石のスコットランド紀行」、川村湊「何でも見てやろう、満韓の旅より」
・夏目漱石と明治日本:山折哲雄「心の慰謝『行人』そして『明暗』」、車谷長吉「漱石の予見」、尾 崎護「高等遊民とパラサイトシングル」、嵐山光三郎「腑に落ちない」、加藤剛「あの食卓は」
・名著で読む、漱石と明治:東谷暁の「読書案内」
・夏目漱石と明治日本略年譜
・おしまいのページで:森本哲郎「漱石と文明開化」
2004,12,15刊行 ちょうど私が夏目漱石を集中的に読んでいる時に発行された、文藝春秋社の臨時増刊で、内容も豊富、執筆人も多彩で、手元に置くガイダンスとして、大変重宝した。
なかでも「名著で読む、漱石と明治」の「読書案内」は、ずいぶんと役に立ち、私の漱石への理解を、これからも更に幅広く奥行きのあるものにしてくれると思う。
感銘度(利便性) ☆☆☆☆☆



漱石の心的世界
ー「甘えによる作品分析
土居健郎
・『「甘え」の構造』の著者が漱石の主人公たちの心理分析を通し作品の底知れぬ魅力を読み解き人間漱石の真随に迫る。
序章;第2章 「坊っちゃん」について;第3章 「坑夫」について;第4章 「三四郎」について;第5章 「それから」について;第6章 「門」について;第7章 「彼岸過迄」について;第8章 「行人」について;第9章 「こころ」について;第10章 「道草」について;第11章 「明暗」について;終章
・それぞれの小説についてのあらすじの復習に役立つとともに、「坊っちゃんとお清」「19歳の青年(坑夫)」「三四郎と美禰子」「代助と嫂(それから)」「宗助とお米(門)」「敬太郎と須永(彼岸過迄)」「二郎、嫂と一郎(行人」「先生と私(こころ)」「健三と島田(道草)」「津田、お延、秀子、小林(明暗)」などの、小説を彩る登場人物などの特徴が手にとるように蘇って来、原作の見事な背景描写が一層際立ってくる。
・鏡子夫人の「漱石の思ひ出」にも触れながら、「召使いから見れば偉人はいない」というフランスの諺を引用し、身内でしか分らなかった、漱石の素顔(病状)をコメントしているのも印象的。
弘文堂 
1994、9,15刊行
2005,1,29読了
・漱石の多くの小説の主人公で、ある時期精神異常(定義は難しいが)、あるいはそれにに近い状況と見られる場面が、多くある。自己を深く見つめるあまり、あるいは、世間を透徹して見渡すあまり、周囲とは相容れない状況になる登場人物がそれである。
・「行人」の一郎がその代表的な人物ですが、「彼岸過迄」の須永、「門」の宗助、「こころ」の先生などにも、そのような部分、あるいは日々が感じられる。
・本書はこの辺のところを、分り易く論じていて、一世を風靡した「甘えの構造」という本を書いた土精神医学者である本書の著者が書いたこの本は、漱石文学を理解するうえで、大変深みが出来るように思えました。
・そのなかで、漱石自身が「鬱病者」だったのか「分裂病者」であったのかという、論争があることも知ったが、土居氏によると
ーー鬱病者の対人接触には何かあくどさがある。しつこさがある。要するに相手に引っからんでくることが特徴的であって他人を寄せ付けないようでいて、結構他人の心情に働きかけてくる。ところが、分裂病者の場合にはこのようなことが見られない。彼等の対人接触は、きわめて淡いというべきであろうーーとして「行人」の一郎(ある時期の漱石自身の自己分析)はまさにこの分裂病の特徴そのものであると説き、「行人」の執筆中一時病気中断に陥ったころの漱石は、まさにこの分裂病の発病時期にあたるのではないかと説いていて、まことに興味深かった。
感銘度 ☆☆☆☆★




続 明暗 水村美苗
 漱石の「明暗」は、主人公津田が湯河原温泉に転地療養に行き、そこには、以前結婚直前に逃げられた清子が来ており、ふたりが再会するところで終っている。実はこの津田の転地は、吉川夫人が仕掛けたものであり、津田の留守の間に「いい妻としての教育」の対象にされたお延は、夫人から、清子の存在に始まり、津田の過去や心情のありようについて、洗いざらい指摘される羽目になり、みずからの自尊心を完膚なきまでに叩きのめされる。
 そうとは知らない転地での津田は、清子との過去を清算するのでもなく、また、果敢に清子を取り戻そうとするのでもない中途半端な態度で、清子に接するが再び無残な結果となる。
 津田とお延、清子、津田の友人小林、妹のお秀、そしてなによりも続明暗の舞台回しであり、裏の主人公である吉川夫人が、たった一泊二日の物語(実は明暗全体を通しても、時間的経過はせいぜい1ケ月くらいの物語ではないか)のなかで、縦横無尽かつ劇的に個性を発揮しながら、物語が進んでいく。明暗ではあれほど歯切れの良かったお延が、続では寡黙になっていくのが痛々しい。
平成5年10月25日刊
新潮文庫
2005,4、5読了
  夏目漱石の未完の小説を、74年の歳月を経た今になって、書き継いでいるものだが、読んでいるうちに、不思議な感に襲われた。これらは、著者が文庫本のあとがきで、多くの読者からのいわばお門違いの批判だいっていることでもあるが、私もよく似た思いを持った。
 ひとつは、夏目漱石が、いま、そのまま生き返ったようでもあり(たとえば文体が漱石そのままのよう)、逆にこの作者が、文豪漱石を侮辱している、漱石はこんなものではないと感じる(漱石の思考はもっと深いのではないか、明治の精神と相容れない感がするなど)ことだった。
 もうひとつは、登場するお延と津田、津田が以前、結婚寸前で逃げられた清子、それらの若い人たちを引っ掻き回す吉川夫人、が、まさに個性そのまままに丁々発止で、リアルな会話をくりひろげるのだが、わかりやすいが、いかにも直接的で、かつ、筋書きが劇的に展開していくことだった。漱石は、果たしてこんな展開を考えていたのであろうか、一方で、よく未完の小説を忠実につないでいて、我々の想像力を満たしてくれている、と感じたことだった。
 漱石が果たせなかった、あるいは、漱石が死を持ってまでも果たそうとしなかった種明かしを、見せられるようで、いささか、辟易する、思いもあるが、 いずれにしても、不思議な吸引力のある「続明暗」いや「異説明暗」であった。
感銘度 ☆☆☆☆★




漱石という生き方 秋山 豊
 ただ作品に寄り添ってその声を聞き取ろうとするとき、心臓を割って血潮を浴びせかけるように書いた漱石の、必死の姿が立ち上がる。最も多くの自筆原稿に触れ、画期的な『漱石全集』を編纂した著者が、全作品はもとより、書簡・日記・談話などに残されたわずかな痕跡の意味を掘り起こし、漱石が考えたこと、表現しようとしたことの本質に迫る。

 「人生」「お金」「夫婦・女」「教育」「仕事」「宗教」などなどについて、漱石が登場人物に語らせたり、ストーリーの中に組み込んだ考え方や思いを抜き出して、著者の考えを説き明かしていく。読みながら、自分が原作を読んだ記憶を手繰りだし、「確かそういう場面があった、そういうことを言っていた」等が思い出されました。その多くが、当時、読み過ごしていたことが多いだけに、今一度、原作を読み直そうという気にさせてくれる本だった。
2006,5,5
岩波書店
2006,9,11読了

 ………「自分のしてゐる事が、自分の目的(エンド)になってゐないほど苦しいことはない」(行人)
 ………「女は策略が好きだから不可(いけな)い」「何と云ったって女には技巧があるから仕方がない」(道草)
 ……… 「世の中に片付くなんてものは殆んどありやしない。一遍起こったことは何時までも続くのさ。ただ、色々な形に変わるから他にも自分にも解らなくなる丈の事さ」(道草)
 
 次から次へと抽出される漱石の名言、卓越した人間描写に圧倒されるが、いずれも、通り一遍の通読では身につかないものばかり。あらためて、「こころ」「道草」「門」、あるいは、「硝子戸の中」などの原作を読み返すべきなのだが、そこまで根気が続かず、ひとます、生半可なまま、読み終えたというところ。
 この本でもうひとつ新鮮だったのは、著者による「全集編纂の苦労話」だった。全集に載せるすべて?について、「漱石の自筆原稿に立ち返って」確認していくという、気の遠くなるような作業が行われていたこと。『椽側』と『縁側』、『饒?舌る』と『喋舌る』など、漢字ひとつにしても、漱石が原稿でどんな字を使っていたかを丹念に、編集者が実際に目を通している、ということを知り、今さらながら、出版社の良心、編集者魂のようなものを感じました。

感銘度 ☆☆☆☆☆




漱石と三人の読者 石原千秋
 漱石は松山・四国での教員生活の後英国へ留学、帰国後東京帝国大学教授となり、その後朝日新聞専属作家に転進している。その経過の中で、「吾輩は猫である」「倫敦塔」「坊っちゃん」「草枕」等を発し、朝日に転進してからは「虞美人草」を皮切りに、前期3部作といわれる「三四郎」「それから」「門」、後期3部作の「彼岸過迄」「行人」「こころ」、晩年の「道草」「明暗」を残している。
 それらの作品の中で漱石はどのような「読者」をイメージして書いたのかという角度からさまざま分析されている本である。
 
目次
第1章 夏目漱石という文化
第2章 小説と格闘した時代
第3章 英文学者夏目漱石と小説
第4章 『虞美人草』の失敗
第5章 『三四郎』と三人目の読者
第6章 『こゝろ』と迷子になった読者
第7章 まだ見ぬ読者へ

2004年10月
講談社現代新書
2006,9,20読了
 著者は三人の読者を「顔の見える読者」「何となく顔の見える読者」「顔のないのっぺりした存在」と表現する。これまでストーリーを追うのが精一杯だった自分のこれまでの読書経験に、いろいろな切り口からの漱石論を加えることによって、漱石の奥深さがもう一段深まった。
 「明暗」の解説のなかで「人が親しく身知っている自分の顔はいわば内面の顔であり、日々他人に見せている外面の顔こそが自分にとっては身知らぬ顔だ」の表現があり、目から鱗の感を持った。個別にはこのようななるほどと思うところが多く、一気に読んだが、全体的にはどの漱石論にも云えるが、「結局のところ何を言いたいのか」については、簡単に言い表せない。それだけ漱石は奥深いということなのか?
感銘度 ☆☆☆★★



『こころ』
大人になれなかった先生
石原千秋
「こころ」を分解し、その読み方を「高校生でもわかるように」解説した本ということですが、じっくり味わわないと著者の意図するところは理解できない。
 大人になることは、かつては親を超えることでした。ところが、その機会を奪われたのが、ほかならぬ「先生」です。そこに不幸の始まりがありました。「先生」が果たせなかった“父親殺し”の問題を、詳細に追究します。さらに、「先生」「K」「私」をめぐって幾重にも仕掛けられた驚くべき謎を読み解きます。最高の漱石入門。

目次
第1回 なぜ見られることが怖いのか(長すぎた遺書
 眼差しへのこだわり
 眼差しが怖い ほか)
第2回 いま青年はどこにいるのか(語る人間の物語
 冒頭と末尾の矛盾
 隠された感情 ほか)
第3回 静は何を知っていたのか(「先生」と呼ぶ理由
 エリートのための純粋培養システム
 高等教育の中の出会い ほか)

みすず書房
2005年7月刊
2006,9,24読了
・「人間は自分しか頼りにならない」が、「その自分がまた、覚束ない存在である」。
・人間は「外に向かって見せている自分」と「もうひとりの自分即ち内面の自分」がある。子供の 頃は両者は未分化だが、大人になるに従って、両者の葛藤に悩みながらも、それ等を使い分 けて生きていく。先生はそれをわかっていて、その使い分けをせずに、自殺した。
・先生、K、青年、そして静 の登場人物それぞれの視点から、「こころ」を読み解くことによって、 小説と言うものは、こういう読み方もあるのだと、勉強になった。
・著者は、先生に先立たれた妻(奥さん=静)と、青年がこの小説の後日談として、結婚して子  どもも出来ていると、解明する。なるほど、小説をきちんと読んでいくと、そのことが立証できた のには、驚いた。
感銘度 ☆☆☆☆★